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広島家庭裁判所三次支部 昭和42年(家)142号 審判 1967年7月16日

申立人 倉田タマエ(仮名)

相手方 倉田健次(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、昭和四二年六月以降昭和四七年五月まで、またはその間に相手方が申立人と同居もしくは離婚すればその日まで、毎月末日限り、月額六、〇〇〇円の割合による金員を申立人方に送金して支払え。

理由

一、申立人と相手方とは昭和三四年二月三日見合結婚により事実上の婚姻関係に入り、相手方の当時の養親高田礼二同ヤスコ方において同居生活をはじめ、同年四月一日婚姻届をし、昭和三六年四月四日長女栄子が、昭和三八年二月一一日二女美香が、各出生した。

二、相手方は結婚当初養親方の農業を手伝つていたが、昭和三七年頃三次市○○町所在の○○鉄工株式会社に入社し、農機具のセールスマンとして勤務するに至つたところ、間もなく相手方の生活が乱れはじめ、帰宅が遅くなり時には一週間も帰宅しないことがあり、月給も持ち帰らない月もあつた。

三、相手方は昭和三八年秋頃から通称トヨちやんというバーのホステスと深い仲になり、外泊も続くので、申立人は離婚を申出たが、相手方の勤務先の上司が仲に入り、婚姻関係を継続することに折合つた。

しかし相手方の外泊は依然続き、昭和四二年三月一一日頃から花田清子というバーのホステスと肩書住所において同棲をはじめ、ほぼ同女の収入に依存して生活し、今日に至つている。

四、そのため相手方は養親とも不和になり昭和四二年五月二日協議離縁をし、また、その間申立人から相手方に対し夫婦関係調整、相手方から申立人に対し離婚の各調停申立がなされたが、申立人は直ちに離婚をする決心もつかず、慰藉料、子の養育料の支払が保証されなければ離婚には応じられないと主張し、その金額につき双方の合意に達しなかつたため調停は不調となつた。

五、相手方には特段の資産はなく、また、勤務先の金を横領したり、勤務状態も悪かつたため昭和四二年四月二五日以降は正社員としての身分を失い、したがつて固定給を失い農機具販売による歩合金のみを収入とするに至つたが、販売活動に熱意がなく、さしあたつてこの方面からの収入は多くを期待しえないのみならず、右○○鉄工株式会社から横領した金の一部は前記高田礼二の出損において弁済したものの、なお、未弁済額が四九万五、八〇〇円にのぼつている。

六、申立人には特段の資産はなく、相手方との溝が深まつた昭和四〇年一〇月頃庄原市内のマーケットにレジ係として就職し通勤するかたわら、夜間同市内のバーにホステスとして勤務し、男友達もできたが、間もなく退職し、昭和四一年一〇月二五日より右高田礼二方に二児を預けたまま国民宿舎○○○○に接待婦として住み込み勤務し、月収一万三、〇〇〇円(食事付)を得ていたが、昭和四二年五月三〇日同所を退職し、相手方の元養親である高田礼二方に再び同居し家事の手伝と子の養育に当り今日に至っているが、近い将来申立人は就職し、右高田方から通勤する予定である。

七、右高田礼二方は田約五、九五〇平方メートルを耕作するほか採草地若干を有し和牛の飼育等をする小農であり、高田礼二夫婦は、相手方に対しては同人が花田清子と別れ生活態度を改めるなら再び養子として迎えてもよいという意向をもち、仮りに相手方を養子とすることができず、かつ申立人と相手方とが離婚した場合には申立人を養女に迎え、老後をみてもらいたいとの意向を有している。

八、以上の事実関係を総合すると、申立人においては自己の生活費はほぼ賄いうる能力を有するものと認められるから、相手方において申立人に支給すべき婚姻費用は主として二児を養育するための直接間接の費用である。

九、四歳と六歳の女児の直接の養育費(保育園費、食費、被服費、保健費、玩具書籍費)は条理上、二児で月額一万円を下らないものと推定される。

したがつて、これに二児を養育するための精神的肉体的労苦を加味し、かつ相手方の経済的能力を斟酌すると、相手方が申立人に差当つて送金すべき額は最少限度一児につき月額三、〇〇〇円、合計月額六、〇〇〇円とするのを相当とする。

一〇、婚姻費用としての子の養育費用は、相手方が申立人と同居するか相手方が申立人と離婚するか、いずれかの事態が発生しない限り子が成年に達するまで支払を要するものではあるが、その金額は子の年齢、環境、両親の経済状態、物価の変動等各種の条件に応じて改定されるべきものであり、右条件は五年以上同一状態を保つとは考えられないから、本審判においては一応五年間の支払金額のみを決定することとし、五年を経過すれば改めて申立をまつて婚姻費用の分担額を定めるべきものとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 森岡茂)

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